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前例がないから、を理由にしない。職場初の男性育休6カ月を取得した私が考える、働きやすい職場の空気の作り方
人生にはいろんな選択がつきものです。
どんな仕事をするか、どんなライフプランを送るか。
やりたいことや目標だってあるでしょう。
私も、今までいろんな選択をしてきました。
22歳で就職した、都市ガス会社。
27歳で決断したワーキングホリデー。
30歳での再就職。そして、半年間の育休取得。
その時々ではあんまり深く考えず、勢いで選んでしまったこともあるかもしれません。
でも、どんな選択も、
アルバイト入社から、会社初の女性管理職に。言いたいことも言えない、引っ込み思案だった私なりのマネジメントのあり方
はじめはアルバイトとしての採用でした。
理系科目が苦手の私が化学メーカーに興味を持ったのは、求人募集に添えられていた顕微鏡のイラストを見て、“なんだか面白そう!”と思ったから。
それから20年。
産休や育休も経験し、今は管理職を務めています。
後輩たちが思っていることを吸い上げて経営層に伝えるのが管理職である私の役目。みんなの声を代弁し、会社をより良く変えていきたいと思っています。
アル
仕事でモテるコツは“暇そうにしていること”。ベンチャー・老舗企業で気づいた、面白い仕事との出会い方
面白い案件が回ってこない。ルーティンワークだからしょうがない…。
仕事がつまらない理由を考えれば、キリがありません。
私はこれまで、個人事業主としてスパゲッティ屋の経営に携わったり、
設立間もないベンチャー企業で経理を担当したり、
老舗企業で新規事業に関わったりと、さまざまな仕事を経験してきました。
キャリアを振り返って思うのは、楽しい仕事や成長の機会に本当に恵まれたな、ということ。
昭和的なキャリアは令和に合わない? 30年超、役職定年まで同じ会社に勤めた自分にできることを考えた
新卒で入社した企業に、定年まで勤める。
希望していなかった仕事でも、配属された場所で経験を積んでいく。
所属する会社に、愛着を持つ。
今となっては、こんな価値観は“昭和的”なのかもしれません。
私は、新卒で入社した企業に32年勤めました。
希望しない異動もありましたし、悩んだこともありましたが、その中で一生の仕事にも出会い、役職定年まで走り抜けました。
今の会社に入社したのは、55歳の
就活で大失敗。30歳から実績ゼロで再出発した私が、40代で管理職になった今、思うこと。
就職氷河期の真っ只中に新卒で入社した会社を、たった2ヶ月で退職しました。
理由があってのことではあるのですが、社会人としてのスタートダッシュでつまずいてしまったのは事実です。
それからは、手に職をつけようと、税理士資格の取得を目指して契約社員として働きながら勉強する日々。
しかし20代のほとんどを勉強に費やすも、目標としていた資格を全て取得することは叶わず……。
気づけば、自分の“強み”と
不安も後悔も受け入れてみる。“逆境”と向き合うキャリアの築き方
キャリアの描き方は人それぞれ。
多様性の時代に、自分が思うキャリアを築けるという選択の自由がある一方で、その自由ゆえの不安もあったりするのではないでしょうか。
自分で描いた道を進んでいるつもりでも、
「ちゃんと前進しているんだろうか?」
「もっと別の進み方があるんじゃないのか?」
「あのとき別の選択をしておけば、もっと良い今があったんじゃないのか?」とか。
このnoteでは20名ほどの自社
40代で初めて地元・福井県を出て転職した、“よそ者”にこそできる職場改善との向き合い方
「認めてほしい」「必要とされたい」──
口には出さなくても、誰だって自分のことを認めてほしいもの。
それは、誰しもが持っている承認欲求であり、会社で働く上でモチベーションの源泉でもあると思います。
そんな社員の思いに管理職として応えていくために。私が必要だと考えているのは、社員に持つ力を存分に発揮してもらうための仕組みの整備やお互いの仕事を理解し認め合う風土づくりです。
ただ、職場環境をよ
バンドマン(週6バイトのフリーター)が30代で人事担当に転身したら、同じ“やりがい”を見つけた
20代前半のときの私は、本気でメジャーデビューを狙うバンドマンでした。
練習以外の日は、ひたすらバイトと派遣でお金を稼いで。夜中にスタジオにバイクで乗り付けて練習してとか。
あれから10年以上経った今は、人事担当として、社員の給与を計算する仕事をしています。
自分で言うのもなんですけど、珍しいキャリアですよね(笑)
友人からは「音楽活動やアルバイトの経験って、今の仕事に活かせるの?」と不思
10年追いかけた税理士をあきらめて一般企業に。20代で目標に見切りをつけて30代でキャリアチェンジしても後悔しなかったワケ
私は、夢を諦めた経験があります。
夢が叶わない、と感じてしまったときの選択肢は2つ。
それでもチャレンジし続けるか。きっぱり諦めるか。
絶対の正解はありません。正解かどうかを決めるのは自分自身です。
私の夢は、税理士になることでした。
初めて憧れを持ったのは浪人時代。それから大学生になり、社会人になってからも、ずっと税理士資格の取得を目指して勉強を続けていました。
気づけば10年以上が
都市ガス会社一筋の私が、ビジネススクールに通って若い人と話したら仕事の価値観が変わった話。
同じ会社に20年以上も勤めていると、自分を客観視する難しさを実感します。
知らず知らずのうちに、会社の文化や考え方に慣れて、それが“当たり前”になってしまう。
でも、自社の常識が、世間一般でも通用するとは限りません。
他社・他業界の人と出会うことで、自分の考え方が凝り固まっているかもと気づかされることもあります。
私には実体験があります。
5年ほど前、都市ガスという安定した業界に“自由化
“研究一筋じゃない”研究職のキャリア。30代中盤から始めるマネジメントという選択肢
化学メーカーの研究職というと、白衣を着て、試験管をもって研究に勤しむといったイメージをお持ちではないでしょうか。
私自身も12年ほど、そのイメージ通りのキャリアを歩んできました。
気づけば30代中盤になりました。
研究職は、このまま研究一筋を貫く人がほとんどじゃないかと思います。
でも、私は最近になって、違う道に興味を持ち始めています。
それが、マネジメントとしてのキャリアです。
研究
20代に転職を重ねたのは、嫌なことから逃げるため。人生初の入社6年目を迎える会社で芽生えた“他人本位”という働き方
20代のときは明らかに尖っていました。
自分が苦手な人とはさっさと縁を切って、自分が合わないと思った職場はさっさと退職を決断して。
転職には一切の抵抗がなく、長く続いて3年ほどでした。
主語はいつだって“私が”。
人に親切なことをしたときには、「私が何かをしてあげたんだから、そのぶんお返ししてよ」なんて考えていました……(今思えば、本当におそろしい)。
何でも自分一人の力でできているって
PVやスキがすべてじゃない。ブレないコンセプトを持って目指す“自分たちにしかできない”企業公式note
noteを続けていたら、嬉しいことがありました。
「入社前、note見てましたよ!」
ある社員への取材で言われた何気ない一言。編集担当にとっては、「やってて良かったー」と実感できる言葉でした。
正直、毎月1本の記事を更新するだけでも、ひーひー言い続けていますが、その結果としてnoteから発せられたメッセージが一助となって、当社の一員として力になってくださる方がいる。
これはPV数にも代えが
市民ランナーグランドスラムのIT担当は、人生を目標ありきじゃなく、走る工程を楽しむ。
「目標を持て」とか、「達成のために努力しろ」とか言われますよね。
それも確かに大切。でも、あんまり考え過ぎると辛くなっちゃいませんか?
私は、登山とランニングが趣味なんですけど、どっちもやってる最中は苦しいし、辛い。
それでも、途中で見える景色や空の青さに感動したり、澄み渡る空気を思いっきり吸い込んだり。登頂なり、完走なりがタイムとして数字でわかるので、自分の成長過程を見える化することも
どこでも通用する「企業内弁護士」へ。法務という専門職で描くキャリアパス
弁護士と聞くと、法律事務所に所属する弁護士。
法廷で弁論する姿を思い浮かべる方が多いかもしれません。
でも、私は法律事務所に所属していない、「企業内弁護士」。
企業内弁護士は、企業の一社員として、法律相談、契約書の審査や作成、契約交渉、M&A、組織再編、訴訟等の紛争、コンプライアンス、株主総会対応、法務監査……などなど、企業内のあらゆる法務領域を担う存在です。
弁護士の中でも6.7%程度と
コンサルの“最後の一歩が踏み込めない感覚”はもうやめた。データを極めるために必要だった「事業会社のIT部門」という選択肢
「データ」と聞いてどのようなイメージを持たれるでしょうか?
私自身、これまでのビジネスパーソンとしてのキャリアの中で、色々な立場(業務担当者、SE、コンサルタント)でデータに関わってきました。
そして今、ようやくわかってきたのは、企業が活動するうえで質の高いデータがいかに大切であるかということ。
データという無味乾燥なものを活用して、どのように付加価値を生み出すことができるかが、データマネ