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アルバイト入社から、会社初の女性管理職に。言いたいことも言えない、引っ込み思案だった私なりのマネジメントのあり方

はじめはアルバイトとしての採用でした。

理系科目が苦手の私が化学メーカーに興味を持ったのは、求人募集に添えられていた顕微鏡のイラストを見て、“なんだか面白そう!”と思ったから。

それから20年。

産休や育休も経験し、今は管理職を務めています。

後輩たちが思っていることを吸い上げて経営層に伝えるのが管理職である私の役目。みんなの声を代弁し、会社をより良く変えていきたいと思っています。

アルバイトとして入社した会社で20年も勤めることになるとは思いもしませんでしたし、ましてや管理職なんて、想像もしていませんでした。

自分自身、だいぶ変わったなって思います。

小さい頃は、引っ込み思案で言いたいことも言えない子どもだったんですけど、それが今や、相手が役員であっても、思ったことは伝えるようになりました(笑)

この会社で色々な人に出会っていくうちに、自分でも気づかないうちに性格や考え方も、自然と変わっていったんだと思います。

ただ、過去の自分と同じように、引っ込み思案だったり、やりたいことがボンヤリしている人の気持ちもわかるんです。

むしろ、過去の自分の経験や気持ちが、いまの私にとって、マネジメントとして仕事をするうえで欠かせない経験になっています。

【今回の社員】

株式会社シナネンゼオミック
品質管理部
三宅 公光子
 

専門学校卒業後、弁当屋に就職。栄養士として1年間勤めたのち、退職していろんなアルバイトを経験。1999年6月、シナネンゼオミックにアルバイトとして入社し、さまざまな分析に携わる。4年後には正社員となり、2006年、2009年には産休・育休を取得。復職後、2018年に管理職に。部下の育成やフォローはもちろん、現在は風土改革にも挑戦中。


■「私がしっかりしなくちゃ」中学時代に芽生えた意識


幼い頃は、引っ込み思案で全然喋れない子どもでした。

言いたいことも言えずに我慢していた気がします。周りの空気を必要以上に敏感に感じ取ってしまう、いわゆる、空気を読んでしまうタイプでした。

そんな性格が変わり始めたのは、中学生の頃。母が亡くなったことがきっかけでした。 

父と妹との3人暮らしになったのですが、父も妹も突然のことで受け入れられず、日々の家事もままならないほど。

“このままじゃ生活もままならない。長女の私がしっかりしなくちゃ”って思うようになりました。

朝から家族の食事と、お昼用のお弁当を作って、夜になれば妹の勉強も手伝ったりして、忙しない日々を送る中で、段々と引っ込み思案ではいられなくなったみたいです(笑)

家族のためにと思うと、まずは自分が動くしかなかったですし、そうやって自発的な行動をせざるを得なくなったことで、少しずつ性格も変わっていったんだと思います。

家事をやるようになったことも影響して、高校卒業後の進路として、栄養士になるための専門学校を選びました。家で料理をしてきたからこそ、もっと勉強してみたいと思ったんです。

栄養学の勉強はもちろん、実験も好きだったので、授業以外の時間もコンビニ弁当を買ってきて菌の状態を分析したり、どんな食材に菌が発生しやすいかを調べたりしていましたね。

卒業後は、お弁当屋さんに就職しました。幼稚園や学校の給食の献立決めや、栄養価の計算などの業務に携わりました。

仕事は好きだったのですが、仕事量が多かったり、でも残業代もなかったりと、楽しく働くつもりが、だんだん苦痛でしかなくなって…。1年で退職することにしました。

そんな状況だったからこそ、すぐに次の就職先を探そうという気持ちにはどうしてもなれませんでした。

一度きりの人生だし、少しお休みして、一旦はアルバイトをすることにしたんです。

学生のテストの丸つけや、コンサートのチケットもぎりなど、いろんな仕事を経験しましたね。今の会社に出会ったのは、そんなときでした。
 

■専門性の高い仕事に、知識ゼロで飛び込んだ


アルバイト情報誌をめくっていると、あるイラストに目が止まりました。

それが、顕微鏡です。

専門学校時代、実験が好きだったことも頭をよぎり、“ここ、面白そう!”と直感しました。

募集内容を読んでみると、シナネンゼオミックという抗菌剤を製造する化学メーカー、その分析業務に関するアルバイトでした。

とはいえ、私は理系専門の大学を卒業したわけでもないし、化学の知識といっても高校レベルです。

不安はありましたが、あくまでアルバイトでしたし、「知識ゼロでも大丈夫」、「一緒に実験をしませんか?」という言葉にも背中を押され、ダメ元で受けてみることにしたんです。

結果は、なんと採用。

面接時に『危ない薬品も触るけど大丈夫ですか?』と聞かれて、私は『危ないって言われたら触りません』と答えたんですが、その受け答えが決め手になったと後日聞きました(笑)

未経験ではありながら、 “ちゃんと教えれば大丈夫”、“わからないことや不安なことがあってもちゃんと相談してくれるだろう”と思ってもらえたことがポイントだったんだと思います。

アルバイトとして入社後、担当することになったのはルーチン分析と言われる業務です。

簡単に言うと、クライアントから製品を預かって、当社の抗菌剤が正しく配合されているかを調べるという内容です。

お察しのとおり、専門性が高いわけです(笑)

もちろん、社員の皆さんが本当に優しくて丁寧に教えてくれるので、勉強しながら仕事を覚えていったのですが、アルバイトとして気軽に入社した私には、手に余るとはまさにこのこと。

やればやるほど「私には難しいかもしれない」という思いも募って、数ヶ月が経つ頃には、正直心が折れかけていました…。

それでも続けられたのは、私を優しく指導し続けてくれた社員の皆さんのおかげです。

これだけ教えてもらったのだから、私からお返しできるように頑張りたい──。

「そこまでやってくれる会社は、なかなかないよ」という父の言葉にも背中を押され、なんとか続けることができました。

■思ってもみないチャンス。踏み出した“管理職”への道

 
年次を重ねるごとに仕事にも慣れ、自分が分析した製品が実際に世の中に出ていく姿を見ると、「もっと仕事の幅も広げていきたいな」という思いが芽生えてきました。

だけど、このままアルバイトとして働き続けても厳しいなぁと思って、5年目を迎えたころ、思い切って「正社員になれないなら辞めます」って、会社に直談判したんです。

当時はもうアルバイト採用もあまりいなくて、正社員に登用するための制度も整っていませんでした。

ダメもととは言わないまでも難しいかもなぁという気もしていたんですが、思い切って言ってみるものですね。

私の声をきっかけに制度を整備していただいて、晴れて正社員になることができたんです。

自分の意見で会社を変えていくこともできる──そう実感できたのもうれしかったですね。

かつてのアルバイト生活と違って、正社員になると、同じ会社に出社する毎日が続くわけです。

会社員になったから普通のことなんですが、今度は逆に、それが途絶えることへの不安を覚えるようになりました。

今でも覚えているのは、産休・育休を取得したときのことです。

休暇に入った当初は、まったく気持ちが落ち着きませんでした。

仕事を忘れてしまいそうで不安でしたし、社会から見放されたような気がして孤独感もありました。

子どもが産まれてからはそんなことを感じる余裕もなくなりましたが、いざ復職が決まると、今度は「ちゃんと仕事ができるかな…?」という不安が大きくなっていきました。

実際、少し感覚がなくなっている部分もあって、復職して2週間くらいは仕事を思い出そうと必死でした。

周囲にも、私の余裕の無さが伝わっていたんだと思います。当時の上司が言ってくれた言葉は忘れません。

仕事は誰かが代わりにできるけど、母親は一人しかいない。家庭第一で、何かがあったらいつでも相談してください

胸のうちにあった不安がスッと消えていく感覚がありました。

私の気持ちを察して、言葉を掛けてくださった上司には感謝しかありません。

いつか、私も同じように人の気持ちを理解して、サポートできる存在になりたい。

考えてみるとアルバイト時代から変わらないんですが、自分がしてもらったことを返していきたいという思いが、仕事への何よりのモチベーションになっていました。

■難しい方が、面白い。後輩たちのためにできることを


管理職の打診を受けたのは、正社員になって15年目になる頃です。

そもそもアルバイト入社だし、自分の性格的にも一度も「管理職」なんて考えたこともありませんでした。

しかも、会社として初めての女性管理職とのこと。

どうして私? 私が管理職になっていいの? 私に何ができるんだろう?

本当に毎日悩みましたし、上司に何度も相談しました。

最終的な決め手になったのは、「せっかく声をかけてもらったんだから、挑戦してみよう」という気持ちです。

こんなチャンスはきっとない。私にできることがあるなら、全力でやってみよう。

そんな思いで、管理職という未知なるキャリアに踏み出しました。

管理職として、自分がどうあるべきか。何となくわかってきたのは、管理職になって5年以上が経った最近のことです。

きっかけは、後輩社員から「三宅さんが、私たちの声を拾い上げて会社に届けてください」と言われたこと。

そういう役割を求められているのだと知って、会社と社員のパイプラインみたいな存在を目指すようになりました。

すると、いろんな社員の相談事が一気に私のところに来るようになって(笑)

声をかけてくれる人も、もしかしたら思い切って声をかけてくれているかもしれない。だから、忙しくても話を聞くし、困っていることがあるなら解決してあげたい。

私も、子どもの頃は言いたいことを言えずに我慢してしまう性格だったからこそ、どんな声にも耳を傾けて寄り添ってあげたいと思うんですよね。

昨年、グループ全体の研修に参加した際に、他の管理職の方々の考え方や取り組みを伺ったのも勉強になりましたし、その時に受けた「ストレングス・ファインダー」の結果では、“誰かの助けになることで自分がパワーアップする”という資質があることを知って、自分が向かっていくべき方向が明確になったのも大きかったです。

これまでの経験、その時々で感じたきたことからも、私はやっぱり誰かのために働いているんだと思います。

管理職になっても、気持ちは変わりません。今の立場だからこそできるサポートを実践していくつもりです。

管理職だからと言って偉くなるわけじゃなくて、文字通り、みんながモチベーション高く仕事をしてもらえるようマネジメントするのが私の役割だと思うんです。

みんなのためにできることを形にしていくためにも、グループで推進している風土改革にも、もっと深く関わっていくつもりでいます。

会社を変えるのが、簡単なことだとは思いません。

でもきっと、難しい方が面白い。

挑戦する過程で勉強したり、悩んだり、いろんな人の意見を聞いたりすることが、私にとっては仕事の楽しみだったりします。

引っ込み思案で、言いたいことを言えなかった子どもだった、なんて話は、もう信じてもらえないかもしれませんが(笑)、そんな経験があったからこそたどり着いた、私なりのマネジメントスタイルなんだと思います。

恥ずかしがらずに言ってしまうと、みんなにしあわせになってほしいって、心から願っているんです。

無知なアルバイトを育ててくれた上司、先輩、自分を頼ってくれる後輩、支えてくれる人たちのために私ができることがあるなら、何だってやる。

思いがけない出来事が続く人生だったとしても、支えてくれる人を大切にしていたら、新しい道を開けていくのかもしれません。

(終) 

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