就活で大失敗。30歳から実績ゼロで再出発した私が、40代で管理職になった今、思うこと。
就職氷河期の真っ只中に新卒で入社した会社を、たった2ヶ月で退職しました。
理由があってのことではあるのですが、社会人としてのスタートダッシュでつまずいてしまったのは事実です。
それからは、手に職をつけようと、税理士資格の取得を目指して契約社員として働きながら勉強する日々。
しかし20代のほとんどを勉強に費やすも、目標としていた資格を全て取得することは叶わず……。
気づけば、自分の“強み”と言えることがないまま30代が目前に迫っていました。
このままいつまで続くか分からない資格取得を目指すより、正社員として働こうと決意し、転職活動をすることに。
実績も無いなかで苦戦を強いられ、やっとの思いで入社した会社に13年間勤め、ご縁があって今の会社にたどり着きました。
現在はチームのマネジメントを担う管理職を務めています。
20代の頃に心のどこかで思っていたのは「若いうちはやり直しがきくから」ということでした。
でも、今となってはこう思うんです。
それは20代に限ったことではないって。
いくつになってもやり直せるし、また新しく人生を始められる。何度つまずいたって、その後も人生は続いていくので。
【今回の社員】
ミライフ東日本株式会社
福島支店 管理チーム
吉福 保文
福岡の大学を卒業後、エステティックサロンを運営する会社に入社するも2カ月で退職。税理士資格の取得を目指すも、30歳を目前に始めた転職活動を開始。人材派遣会社の財務担当者として入社し、13年間従事。2022年1月、ミライフ東日本に入社。福島支店の管理チームのマネジメントを担当している。
■新卒入社でつまずき、働きながら会計の勉強に励んだ20代
子ども時代の私は、“本の虫”。
岡田 淳さんの『二分間の冒険』を読んで、「こんなに面白い本があるんだ!」と驚いて。児童文学から小説、SFまで、テレビも見ずに本ばかり読んでいました。
高校生になって熱中するようになったのは、部活動です。
当時バドミントン部の部長を務めて、チームをまとめる難しさを痛感しました。管理職になった今、当時を振り返るとチームの中で伸びていない人の気持ちを配慮できていなかったなと思いますね。
高校卒業後は、地元の福岡県で法学部に進学しました。法律の専門家を目指したというよりは、潰しが効くという思いがあったのも正直なところです。
ところが、いざ就活の時期になると、世間は就職氷河期の真っ只中。
やっとの内定をもらえたエスティックサロンの運営会社に入社しました。
これが入社してみると、採用時の説明と現場の実態が全く違う。
現場の仕事を知れば知るほど、会社への不信感が募りました。
「ここにいるべきではない」。そう思って、わずか2ヶ月で退職することにしました。
当時は“第二新卒”なんて言葉もなく、再就職も厳しい時代です。
これからどうしていこうかと頭を悩ませている時、大学時代に行政書士の資格を取得したことを思い出したんです。
こんな時代だからこそ、やっぱり手に職をつけていないと──。
目をつけたのが「税理士」でした。
コールセンターで契約社員として働きながら、会計の勉強を始めました。勉強すればするほど、会計の考え方や奥深さを理解できるようになっていくのが楽しかったですね。
ただ、働きながら勉強をするのは、時間的にも体力的にも、私には厳しかったです。
複数ある科目のうち、いくつかの資格は取得できたものの、目標としていた全ては取得しきれないまま29歳を迎えました。
心のどこかで「20代のうちはやり直しがきく」と考えていました。
30歳を目前に、方向転換するなら今しかないと思ったんです。
今まで学んできた会計の知識を活かせる「経理」の道に進もうと転職活動を始めました。
いざ始めてみたものの、29歳で未経験。当初は地元福岡中心に100社近く応募するも書類選考もなかなか通りません。
仕方なく、生まれ育った福岡を離れ、本社機能が集まっている東京で仕事を探し始めました。
今思えば、そこから私の第二の人生が始まった気がしています。
■0から業務を覚え、管理職としての歩みがスタートする
転職活動の末、内定を獲得できたのは30歳になる2カ月前。
人材派遣を行う会社に入社しました。数年後に上場を目指していたので、財務担当者の拡充を図っていたことから、求人も“未経験可”だったんです。
私に業務を教えてくれたのは、20代前半・新卒2年目の女性でした。
年齢や社会人歴の差を気にすることはなかったです。
未経験で、教えてもらう立場というのもありましたけど、そもそも、年齢や社会人歴に対して変にプライドを持っていても良いことがない。
相手が誰であろうと、学べることがあれば謙虚に学ぶ。そのほうが、自分にとっても絶対プラスですから。
もっとも、その女性社員から、最初のうちは少し年上の人間を教えることに抵抗感を持たれている印象は受けたのも事実ですけど(苦笑)、私が同じ立場だったら恐縮したに決まっています。
特段、自分から何か働きかけたわけではありませんが、私が新入社員として学び続けることで、その師弟関係にお互いが徐々に慣れていきました。
人件費に関する会計処理、経費精算、給与計算など、業務を一つひとつ吸収し、経理担当として一人で仕事ができるようになると、数年後には今度は経理チームの管理職を担うことになりました。
未経験から入った身としては、本当にありがたい話でした。
ただ、学生時代に部活動の部長経験はあっても、もちろん仕事でのマネジメント経験は初めて。
マネジメントとしての仕事ができているのか、できていないのかも分からずにいたら、ある時、他部門の管理職の方と仕事で一緒になった際に、突然こう言われたんです。
「自分のチームの状態で気づくことはある?」と。
私は何も答えられませんでした。
実はそのとき、自分では気づいていなかったのですが、私の部下がオーバーワークになりかけていたのです。
その方は傍目に見ていて、私のチームの兆候に気が付き、いくつかの指摘とアドバイスをしてくださいました。
何も答えられなかった自分が、ただただ情けなく思えました。
これまでは自分の仕事を全力でこなすだけではいけない。管理職へとレイヤーが変わったのだから、考え方ややり方も大きく変える必要があると気付かされた瞬間でした。
それからは、チーム全体のことを考え、メンバー一人ひとりの業務の進捗にも目を配り、積極的に話しかけるようにしました。
業務が滞っていないか。何か困っていることはないか。
あいさつの声、歩き方や座り方、声を掛けたときのリアクションまで、些細な部分にこそメンバーの心情やモチベーションは表れる。その兆候を見逃さないようにしました。
次第に、チームの雰囲気も大きく変わっていきました。プライベートな相談も増え、定着率も一層高まったんです。
管理職の意識が変われば、チーム全体が変わる。あのアドバイスがきっかけになって、管理職として成長させてもらうことができたんじゃないかと思っています。
未経験で入社して13年間。
転職が頭をよぎったのは、長く勤めるうちに、新しい分野に挑戦して知らない知識をもっと身につけていきたいという思いが強くなっていたことが理由の一つです。
そんな時に出会ったのが、ミライフ東日本でした。転職サイトに書かれていた、「自分の裁量で周りを巻き込みながら変革できる人を求めています」という言葉に惹かれたんです。
印象的だったのは、最終面接で「どこまで目指したいですか?」と聞かれたこと。意表をつかれて驚きましたが、それだけ意欲がある人を求めているんだって感じました。
面接の中で業務内容を丁寧に説明してくれたり、「気づいたことがあればどんどん意見してほしい」と言ってもらったりと、この人たちと一緒に働きたいという思いが強くなっていき、入社を決意しました。
■新しい業務は、“覚える”のではなく“理解する”
2022年1月、福島支店という拠点の管理業務一切を担当するチームの管理職として入社しました。
前職で経理チームの管理職を担当していたものの、このチームでは採用活動や労働契約の更新などもカバーしています。もちろん、人事・総務は初めての経験です。
まずは業務を把握するために、メンバーの皆さんに業務の内容ややり方を一つひとつ教わりました。
エネルギー業界もまったくの未経験です。
ミライフ東日本は、LPガス、灯油、電気など、エネルギーの供給を主な事業としているので、業務にはお客様に灯油を届ける配送センターの管理も含まれており、専門知識を身につける必要もありました。
そこで「危険物取扱者」の資格取得に向けた勉強もスタート。入社した年に「乙種」を取得し、翌年3月に「甲種」を取得しました。実務上は「乙種」だけで十分だったのですが、もっと理解を深めたいと思って最終的には2種類取得しました。
入社して1年8ヶ月が経ち、ようやく業務の全体像を理解し始めてくると、改善すべき点も少しずつ見えてきました。
例えば、現場ではまだ人の手に頼る作業が多く、システマチックなやり方に改善できる業務も少なくありません。
グループで進めている「業務標準化プロジェクト」にも関わり、現場主体で業務改善の取り組みに着手しています。取り組みは始まったばかりですが、よりよい職場にしていくために、みんなで議論を重ねていきたいと思っています。
管理職だから、というわけではなく、私はせっかくやるからには、とことん突き詰めたい性格なんだと思います。
業務自体は手順さえ覚えればできるかもしれませんが、その背景にある理屈を知ると仕事はもっとやりやすくなるし、面白くなる。
振返ってみると、理解が深まってこそ、できることがあるから、人に聞いたり、自分で勉強する時間を大事にしているんだと思います。
■いくつになっても自分の手で人生は変えられる
30歳を目前に会計の勉強を辞め、就職を決めたとき、「人生を変えるには、これが最後のチャンスだ」という気持ちが強かったと思います。
でも今になって思うのは、いつだって自分の手で人生は変えられる、ということです。
もちろん、年を重ねるごとに人生を変えるのはきっと大変になるし、若い頃以上に努力したり、勉強したりと頑張らなくちゃいけないかもしれない。
私の場合、就活に失敗して、20代の仕事での実績がなかったからこそ、人一倍、努力をしなければならないという意識がどこかにあったのかもしれません。
それでも、学び続けたい、新しいことに挑戦したいと思って、諦めずに行動を続けた結果、今はやりがいを感じられる仕事に携われています。
自分を変えようとチャレンジするのに、年齢は関係ありません。
何度つまずいても、どんな選択をしても、人生は続いていきます。
未来の自分をつくるのは、他ならない、今の自分。
せっかくなら、私は今の自分の意志を尊重して、いくつになってもチャレンジできる人間でありたいと思っています。
(終)
★おすすめ記事★