都市ガス会社一筋の私が、ビジネススクールに通って若い人と話したら仕事の価値観が変わった話。
同じ会社に20年以上も勤めていると、自分を客観視する難しさを実感します。
知らず知らずのうちに、会社の文化や考え方に慣れて、それが“当たり前”になってしまう。
でも、自社の常識が、世間一般でも通用するとは限りません。
他社・他業界の人と出会うことで、自分の考え方が凝り固まっているかもと気づかされることもあります。
私には実体験があります。
5年ほど前、都市ガスという安定した業界に“自由化”という変化が押し寄せたころです。
気づかせてくれたのは、全く別業界で働く、年齢も20歳ほど離れた女性の方でした。
「自由化だからって、なぜそこまで戦々恐々されてるんですか? サービスの善し悪しで選ばれるなんて、どこの業界でも普通ですよ」
ビジネススクールの休憩時間の何気ない会話に、私は平静を装いながらも、耳まで真っ赤になっていました。
自分が世間知らずだと知った恥ずかしさは覚えていますが、今でも心から思っています。
あのときの一言があって自分は変われたんです。
【今回の社員】
日高都市ガス株式会社
営業統括部 部長 兼 経営企画室 室長
横田 敬二
■決まったレールは大嫌い。親元を離れて飛び込んだ都市ガス会社
私は長崎県の出身。自分で言うのもなんですが、自分で決めたことを貫くタイプの九州男児です。
親には「公務員になりなさい」と言われていたものの、子どもの頃からそういう性格が出てしまっていたようで(苦笑)。
「自分の道は自分で決める!」「決まったレールは嫌だ!」と反発して、両親とはしょっちゅう喧嘩していました。
ついには、親元を早く離れたい一心で、大学進学とともに、埼玉県の飯能市という場所に引っ越しました。
勢いよく飛び出したものの、これといった目標があったわけではありません。
「社会人になったら営業がしたい」などと漠然と考えていたものの、大学4年生の秋になってもやりたいことは見つからないまま。
親からも「就職先が見つからないなら戻って来い」と言われながらも、自分のキャリアは自分で決めたいという思いから就職活動を続けました。
そんな私を採用してくれたのが、自分が住んでいた隣町の日高市に本社がある「日高都市ガス」でした。
社名のとおり、地域への都市ガス供給を担うエネルギー会社。
両親からも「安定している都市ガス会社なら」と応援してもらえました。
後に聞いたところでは「ちょっと働いてみてダメだったら戻ってくるだろう」という思いもあったようです。
幸いにも就職はできたものの、自分の本音としては、思い入れを持っていたわけでもなかったので、「まずはとりあえず1~2年勤めよう」という気持ち。
まさか、この会社に20年以上も勤めることになるとは、当時は思ってもみませんでした。
■業界の転換期が契機となった新たな事業への挑戦
いざ入社してみると、仕事の楽しさに気づきました。
地域密着型の会社なので、お客様とも近い距離間で仲良くしていただいて。
最初のうちは明らかに経験不足の自分を温かく見守っていただいていたと思いますが、知識を身につけるほどに頼りにされる機会も増えていきました。
お客様との関係性のなかに、仕事のやりがいというものがあると感じるようになっていきました。
次第に、新たな取り組みにも関わるようになっていきます。
入社4年目からは、複数の都市ガス会社が連合してできた共同体に参画し、地球温暖化対策に関する取り組みとしてスタートした都市ガスの原料を天然ガスに転換する熱量転換という作業を2年間ほど担当しました。
この転換に伴って、各地の都市ガス会社にも大きな変化がもたらされます。
元々、自社でガスを製造していたのが、その必要がなくなり、大手の都市ガス会社のパイプラインを介してお客様に直接ガスを供給できるようになったのです。
これにより、ガスの“メーカー”だった日高都市ガスも、ガスの販売を中心とした“サービス業”へと業態転換が急務となりました。
それが2004年のことでした。最初は水漏れの対応を行うパイプ事業から始まりました。
そこから発展してリフォーム事業、ハウスクリーニングや修繕サービス等のベンリー事業を立ち上げ、ガスにとどまらない、おうちのお困りごとを広く解決できるサービスを拡充していきました。
2016年の電力小売の全面自由化に伴い、日高都市ガスも電力販売に参画するため、その立ち上げにも携わりました。
こうして振り返ってみると、2004年以降はガスに全く絡んでいないという(笑)、ちょっと変わった経歴になっています。
でも、考えてみると、これだけ新規事業の立上げに関われるなんて、なかなか経験できることじゃないと思うんですよね。
ある意味で、業界の大きな変化があったおかげ、と言えるかもしれません。
自分たちなりにこの変化をチャンスに変えようと、新しいチャレンジをさせてもらえたのは、この会社にいたからこそできた経験だと思います。
■初対面の若い方からの一言で、井の中の蛙だと思い知った
自分が入社した1998年当時と比べると、都市ガス業界も、会社もだいぶ変わったなと思います。
熱量転換もそうですが、もう一つ大きかったのが、ガス小売の全面自由化です。
2016年の電力に続いて、2017年に都市ガスも小売り販売が自由化され、新たな企業が続々とガス事業に参入してきました。
ガス事業者間での競争も激しくなり、お客様のガス料金・サービスに対する目も一層厳しくなりました。
私もそれまで経験したことがない競争にさらされ、危機感を覚えました。
他社と差をつけるサービスを生み出すためにも、もっと知識を身につけたい──そんな思いから、会社に申請して、ビジネススクールに通い始めました。
私が今でも忘れない衝撃を受けたのは、このときでした。
いつものようにビジネススクールで席に座ると、自分の隣に20代の女性が座っていました。
授業の休憩時間のこと。
軽く挨拶をした流れで話を聞いてみると、その女性は自分で受講料を払っていて、「もっと知識を身につけてないと競争に負けてしまうんで」と言うんです。
会社の補助を受けて受講する自分との覚悟の違いに面食らいました。
さらに、私から「都市ガスの販売が自由化されて大変なんですよ。うちもどうにかして選ばれる企業にならないといけないんで」と現状を話すと、さらりとこう返されました。
「サービスの善し悪しで選ばれるなんて、どこの業界でも普通ですよ。なぜ自由化だからって、そこまで戦々恐々されてるんですか?」
言われてみれば確かにそうなんです。
他業界からすれば、新規参入が少ないほうが珍しい。
今さら自由化されて競争が不安だと、突然慌てている自分が、いかに井の中の蛙であるかを思い知りました。
そして、他人から、しかも自分よりも遥かに若い人に指摘されるまで、その自覚が全くなかったことが恥ずかしくて仕方ありませんでした。
あのとき平静を装いながらも、自分の耳が熱くなったことを今でも覚えています。
でも、それだけ恥ずかしい思いをしたことで、大事な学びを得られたんです。
自分たちも、選ばれる企業になる努力を続けなければならない。
そのためには、自社のサービスを、魅力をもっともっと磨かなければならない。
すでに40代に突入した私でしたが、あの女性の一言が仕事への意識を変えてくれました。
あれから、市の社会課題にも目を向け、市内に増える空き家問題を解決する「空き家管理サービス」を立ち上げたり、自分たちの会社をもっと良い方向に変えていくための風土改革のリーダーを務めたりと、新たなチャレンジを続けています。
■何がやりたいか分からなくたっていい。大切なのは“自分事化”すること
自分の意識で一番変わったのは、未来を見据えるようになったことかもしれません。
選ばれる企業になるには、この会社を支えてくださっている日高市の未来にとって必要なことを実行するのが大切だからです。
気づけばこの日高都市ガスで働いて、20年以上が経ちました。
だからこそ、この日高市の発展に貢献したいという思いもありますが、お客様に恩返しをしたいという気持ちも強いです。
何の目標もなかった学生だった自分が、今、一端の社会人でいられるのは、お客様に育ててもらったからこそ。
お客様のこと、日高市のことを思って恩返しをしていくことが、選ばれる企業になることにもつながっていくと信じています。
最近、大学1年生になる私の子どもと話していて、「何をやりたいか分からない」なんて言われました。
こんなところが親に似てしまって……なんて思いながら(笑)、「やりたいことなんてすぐに見つかるわけじゃないから、ゆっくり探したらいいよ」って返したんですけどね。
そうは言いつつも、私自身、未だに何がやりたいとか、何が向いているとか、自分で明確に言葉にはできないのも正直なところです。
私の場合、仕事をやりながら、自分ができることを探して行動するなかで、やりがいを見出して、キャリアを築いてきたと思っています。
今は終身雇用が当たり前ではなくなりました。転職を繰り返すなかでキャリアアップしていく選択肢もあります。
自分はずっと同じ会社にいますが、同じことを続けてきたわけではありません。
ある意味、周りに流されながら、色々なことを経験させてもらってきました。
だから、きっかけは必ずしも“自分発”じゃなくてもいいと思うんです。
お客様の声、業界の変化、会社の方針…どんなきっかけであっても、大切なのは“自分事にできるかどうか”。
何がやりたいか分からなくたっていい。
流れに身を任せたとしても、目の前のことと真摯に向き合っていけば、それも自分らしいキャリアになると思います。
(終)
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