バンドマン(週6バイトのフリーター)が30代で人事担当に転身したら、同じ“やりがい”を見つけた
20代前半のときの私は、本気でメジャーデビューを狙うバンドマンでした。
練習以外の日は、ひたすらバイトと派遣でお金を稼いで。夜中にスタジオにバイクで乗り付けて練習してとか。
あれから10年以上経った今は、人事担当として、社員の給与を計算する仕事をしています。
自分で言うのもなんですけど、珍しいキャリアですよね(笑)
友人からは「音楽活動やアルバイトの経験って、今の仕事に活かせるの?」と不思議な顔をされます。
たしかに、一見全くつながりがないように見えるかもしれませんが、今になって、よくよく考えると一緒だなと思える共通点がたくさんあります。
バンド活動だろうと、アルバイトだろうと、関係ありません。
人生に無駄な経験なんて、絶対にありませんから。
【今回の社員】
シナネンホールディングス株式会社
人事部 給与厚生チーム
根岸 佐千子
音楽の専門学校を卒業した後、ギタリストとしてバンド活動をスタート。音楽活動と並行し、コールセンターなどさまざまな仕事に携わる。派遣社員としてシナネンホールディングスに入社後、現在は正社員として給与計算や社員向けの福利厚生制度の構築などを担う。
■昼間は週6日でアルバイト、帰宅後は徹夜してスタジオで練習
私は中学生や高校生のときから音楽が大好きで、部活動も吹奏楽部や軽音楽部に入部したりと、そばに音楽がある環境で過ごしていました。
高校卒業後の進路を考えるタイミングで、音楽の専門学校に進みたいと思ったのはごく自然な流れでした。
音楽以外でやりたいことが見つからなかったんですよね。
将来どんな仕事をしたいかなんて考えたこともなかったですし、「今やりたいことをやる!」っていう考えだけで、音楽の専門学校に進学しました。
高校生のときはコピーバンドがメインでしたが、専門学校になると授業の一環でバンドを組んだり、音楽を創作する活動が入ってきます。
それでさらに音楽に対する熱量が高まって、卒業後はメジャーデビューを目指してバンドを結成し、音楽活動をするようになりました。
当時はオルタナティブロックといわれるジャンルが好きで、私はギタリストでした。
「職業:ギタリスト」と言えば聞こえはいいですが、音楽活動だけでは全く食べていけませんでした。
週6日でアルバイトや派遣をしながら、深夜にバンド仲間とスタジオに集合して徹夜で練習する、なんていう生活で。
実質は「職業:フリーター」でした。
儚い夢を追いかけながら、アルバイトに追われる毎日を送れたのは、同じ方向性を目指すメンバーとの練習がとにかく楽しかったからです。
創作活動やライブでの演奏はもちろんですが、それ以上に、同じバンドのメンバーといる時間が好きだったというのが一番大きかった気がします。
だから、メンバー各々の得意な演奏が出せるような、そんな音楽を目指していました。
■ネガティブな気持ちも、向き合い方を変えてポジティブに
一方で週6のバイト・派遣生活も、決して苦ではありませんでした。
色々な仕事を経験できて、純粋に楽しかったんです。
社会人になってからでも転職はできますけど、同じ時期にいくつも違う仕事をできるって、なんだか経験値を得した感じがするというか(笑)
今ではほとんどいなくなりましたけど、エレベーターガールとして「上へまいりまーす」とかやっていましたし、今となってはできない経験ができた時期でもあったとは思います。
中でも特に良い経験をしたなと思っているのはコールセンターでのお仕事です。
始めた理由は、時給が高かったから、というだけ。クレーム電話の対応がメインだったので、やりたいという人があまり多くなかったんだと思います。
お客様は何か問題なり、不満があって電話してくるので、当たり前ながらお怒りなわけです。
この怒りを自分の心で受け止めていたら、精神をすり減らしてしまうと直感した私は、受け止め方を工夫しました。
「これは私へのクレームではなく、製品へのクレームだ」。
ともすると他人事化しているように見えるかもしれませんが、お客様と同じ目線に立って、お客様と一緒に問題を解決しようというスタンスでいるようにしたんです。
そうするとお客様が味方に見えてきて、自分の気持ちも前向きになりました。
気持ち一つでそんなに変わるのかと思うくらい、それからは仕事がうまくいきました。不思議と難しい対応ができるようになって、気づけばその社内では最短でリーダーという役職に就くこともできました。
一方で、そんな私を快く思わない方もいました。特に、昔から活躍しているリーダーから陰で悪口を言われることがあったんです。
そのときに私が行ったのは、“逆に仲良くなっちゃおう作戦”。
ちょっと声を掛けにくい状況を逆手にとって、こっちから積極的に声を掛けにいったんです。
最初はびっくりされますよね(笑)。悪口を言っていた相手が、自分から寄ってきたんですから。
でも、相手だって、私のことを「突然リーダーになった人」くらいしか知らないわけです。
見方を変えれば、「人間として嫌い」というほどの関係性も要素もないので、きちんと知ってもらえたら仲良くなれる可能性だってあるかもしれないなって。
結局、話しているうちに段々仲良くなって、仕事もやりやすくなりました。
当時のエピソードを話すと「いやいや!そんなのマネできない」ってよく言われます。
その気持ちもめっちゃわかります。私の運が良かっただけかもしれないですからね。だから、同じやり方を勧めたりはしません。
ただ、もし少しでも希望を持ちたいなら、ダメもとでも自分から話しかけてみるのも一つかなと。
結果、うまくいくかもしれませんし、それでもダメだったら完全に諦めがつくので、割り切って別の道にも目を向けられます。そのほうが悩み続けるよりも、自分の心の負担も軽くなると思います。
■バンドが解散しても「人が集うことが好き」
アルバイトの話が長くなってしまいましたけど、バンドの話に戻りますね。
専門学校を卒業してから、ずっとバンドとアルバイト漬けの生活を送ったものの、残念ながらいつまで経ってもメジャーデビューの声は掛からず。
結局、活動期間が5年ほど経ったときに、解散することになりました。
「このバンドメンバーとデビューしたい」という思いが一番強かったんですけど、メンバーのライフスタイルが変わってきたこともあり、活動を続けるのは難しいという結論に至りました。
残念な気持ちがなかったわけではありません。メジャーデビューが叶わなかったことはともかく、このメンバーで活動できなくなってしまう寂しさはありました。
でも、それ以上に達成感が強かったです。
「このバンドが世界一」と思える仲間たちと全力で音楽活動ができていたから、「やり切った」と感じたんだと思います。
ちなみに、当時のバンドメンバーとは今でも時々会うくらい縁が続いています。
いま思い返すと、正直、私にとっては、バンドが売れても売れなくても、どっちでも良かったのかもと思います(笑)
私のモチベーションは「人が集うのが好き」ということにあると気づいたからです。
同じバンドのメンバーもそうですし、音楽仲間、ライブに来てくださったお客さん。様々なバックボーンの人たちが集まって生まれる一体感が、私には心地良かったんだなと。
突き詰めていけば、人が好き。
だから、コールセンターのアルバイトでも、前向きでいられたんだと思います。
バンドという人生の軸を失っても、人が集うことに携われればいいと思えば、次に進む道もきっと見つかると信じることができました。
■転職、結婚、出産、変化に身を委ねて気づいたら人事担当に
バンド活動を終えた当時の私は20代前半。
幸いアルバイト先から、正社員にならないかとお誘いも頂いたものの、せっかくなら全く新しい分野にチャレンジして、自分が成長できる環境に身を置きたいって思いました。
まずは色々なところを見たいと思って派遣会社に登録したんですけど、結局は友人に誘われてベンチャー企業に行きました。
その会社の在籍中に結婚と出産をしました。産休・育休をいただいて、「さぁ仕事に復帰しよう」と思った矢先、当時話題になっていた保育園が見つからない問題に直面してしまい……。
育休期間も使い切ってしまったので、やむを得ず退職して、いったん育児に専念することにしました。
とはいえ、保育園に預けたい気持ちはあったので、意識的に外に出て人と会ったりしていたら、たまたま保育士さんと知り合って、空きがある保育園が見つかったんです。
そこが結構いいお値段のところだったので、私もまた働くことにしました。
以前登録した派遣会社に相談して、紹介してもらったのが、今の勤め先であるシナネンホールディングスです。
2017年5月に入社してからはずっと人事担当で、給与計算や福利厚生の制度づくりを担当しています。途中で正社員になって、トータルでもう6年が過ぎました。
正直、最初から人事という仕事にこだわりがあったわけではないんですが、やってみたら結構自分に向いていたとは思います。
■音楽も、コールセンターも、人事担当も一緒
私の好きな言葉で、トヨタ生産方式で掲げられている「人を責めるな。しくみを責めろ」があります。
今、部内で業務改善に取り組んでいて、この言葉の重みを実感するんです。
この仕事だけでなくて、バンドも、コールセンターも同じだと思っています。
チーム、組織で動くとき、誰か一人が悪いなんてことはまずあり得ない、つまり“仕組み”に課題があるんじゃないかって。
仕組みというと仰々しい感じがしますけど、みんなといるこの環境をより良くするのが本質だと思うんです。
だから、一人ひとりにもできることがきっとある。
人が集うことが好きだからこそ、みんなと楽しい時間を過ごすために、誰かが変えてくれるのをただ待つんじゃなくて、自分ができることをやろうって心に決めています。
なんて言っていますけど、小学生のときは、めっちゃ内気な子で。それが突然に中学デビューを果たして、両親も私を止められなくなり、気づいたら音楽の道に突っ走っていったという。
それで良かったのかどうかと聞かれれば、両親は呆れ顔かもしれませんけど(笑)、個人的には、人と集う喜びを知れたから良かったなって、胸を張って言えます。
今は30代後半。20代のときとはガラリと生活も変わりました。
バンドも、アルバイトも、人事も、どれもやっていることはバラバラですけど、本質的に自分が持っているものは変わらないと実感します。
自分が大切にしたいと思えることに気づいたら、そのために行動してみる。
それが自分のためにもなりますし、結果としては組織・チームのためにもなると信じてみると、一歩踏み出す勇気が出るんじゃないかなって思います。
(終)
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