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成果も評価も気にするのやめたら、人生180度変わった


気づいたら、独りぼっちになっていました。

必死に仕事をして、毎期の営業目標を達成し続け、やっとマネージャーに昇格したのに。360度評価の結果を見て愕然としました。誰一人として自分の味方をしてくれるメンバーがいない。完全に“裸の王様”でした。

今思えば、周りが見えていなかった。“自己中”というやつです。

それでも、成果を示さなければ自分の存在価値が否定されるかもしれない。そんな漠然とした不安や恐怖心が、私を独りよがりに走らせていました。

どん底から救ってくれたのは、“人との繋がり”でした。一匹狼だった私が勇気を出して「助けて」と声を上げて、仲間と手を取り合えたとき、大きく視界が開けました。

人と人とがつながることで、これほど見えている世界が変わるんだ。

多くの人と出会い、学びあうなかで、不安の殻から出て、やっと自分の本心が見えた気がしました。

今はシナネンゼオミックの一員として働きながら、オフでは学生のWill(夢)を応援するプロジェクトに参加しています。自ら体験した「世界が広がる」実感を得てもらうために、今度は私が動く番ですね。

自分で言うのもなんですが…人ってこんなにガラッと変われるんだって思います。「転機」と言えば聞こえはいいですが、「反面教師」として読んでいただく方が良いかもしれません(笑)。


【今回の社員】

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シナネンゼオミック
営業部
加藤貴夫

1996年に大学卒業後、大手化粧品メーカーに入社し、海外営業などを担当。その後、大手人材サービス会社に転職。2014年にシナネンゼオミックに入社。抗菌剤「ゼオミックⓇ」の海外営業を担当。今年から、当社グループの「風土改革プロジェクト」変革リーダーに就任。


■憧れの海外営業に不満はないけど転職を決意


元々は海外の仕事がしたかったんです。原体験は、小学5年生のときの家庭教師の先生。大学生ながらバイクに乗って登場し、軽妙にジョークを交えながら英語を教えてくれる人でした。

それからずっと英語だけは熱心に勉強し、大学での就活時に志望したのが「海外での仕事」

ただ、私は、実家が愛知県の田舎で、長男坊。いつかは親の面倒を見ないといけない、という意識も働きました。就職先は「愛知県か? 海外か?」と迷って、結局、愛知県の会社を主体に探しました。

ちょうど就職氷河期だったので苦戦しましたが、粘りに粘って、海外部門配属が確実だった某化粧品メーカーに入社しました。

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転職したのは32歳のとき。会社に不満があったわけではないです。
ふと、隣の芝が青く見えて「やったぶんだけ評価される」環境でチャレンジしたくなったんです。

英語力に天井を感じたのもありました。
今でも覚えているのが、スウェーデン出身のバイヤーに、けちょんけちょんに言われたこと。「あなたの英語は分からない」と。それまで商談してきた英語が通用しなかったんです。

そのバイヤーが20代半ばくらい。私の方が長く仕事をして、自分なりに英語も勉強もしていたのに、この程度かと……。結構ショックでした。

どんなに頑張ってもネイティブとはやり合えない

なので、転職でも海外営業には特段こだわりませんでした。
条件にしたのはこの3つ。

①成果次第で早くマネジメント経験が積めること
②家族との時間を確保できること
③ちょうど妻が妊娠していたので、初任地は自宅がある愛知県であること

当時、「32歳転職限界説」とも言われていて煽られていましたが、結構慎重でしたね(苦笑)。

結果、転職した先は大手の某転職支援サービス企業。キャリアアドバイザーとして、愛知県の拠点に配属されました。すべての条件を満たせると意気揚々としていましたね。


■マネージャー昇格の先に待っていた360度評価の絶望


この会社は営業色が強く、数字に厳しいことで有名。入社2日目にして上長にこう言われました。

「32歳でウチに正社員で入るのは、ギリギリだね。2年で結果を出してほしい」。

前評判からも覚悟はしていたので、この一言で自分が置かれている状況を理解しました。それからは毎日、必死。長時間労働もいとわず(今となってはよろしくないですが…)、圧倒的な営業成績を上げることだけに重きを置きました。

その甲斐あって、8クオーター連続で、個人の営業目標を高い達成率で達成。全社表彰も受け、入社後2年でマネージャーに昇格できました。

プレッシャーを感じながらやってきて、やっと認めてもらえた安堵と嬉しさがありましたね。それからも営業目標の達成を第一に仕事に打ち込みました。

しかしこのとき、自分が“勘違い”をしていることには気づいていませんでした。


マネージャー昇格から1年が経過して、「360度評価」を受けました。部下や同僚など多方面から評価される制度です。

成果を上げていたので、悪いことはないと思っていましたが、結果を見て愕然としました。

メンバーからの評価が、地を這うほどの低さだったんです。

原因は明らか。自分の営業成績しか頭になかったからです。
象徴する出来事として、今でも強烈に覚えていることがあります。

ある月末にチーム目標をギリギリ達成しようかというとき。期待していた数字に届きそうだと報告をしにきてくれたメンバーに「ありがとな」と声を掛けました。すると、そのメンバーに、眼前で形相を変えて、こう言われたんです。

「あなたのために仕事をしているんじゃない!」

私がその手柄を自分の手柄にすると思ったのでしょう。しかし、そのときの私は大きな声にびっくりしたものの、なんでそんなことを言われたのか、ピンと来ていませんでした。今となっては、自分の鈍感さが恐ろしいです。

目標を達成し続けるうちに、自分が頑張ればなんとかなるという驕りが生まれ、気づけば結果のみに執着し、周囲への感謝や貢献が乏しいマネージャーになってしまっていました。メンバーがサポートしてくれていたからこその成果だったのに。

とんだ勘違いです。

360度評価はもっともすぎて、何も言えませんでした。

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この後、同じ職場ではやり直せないだろうからと、会社の判断もあり、東京へ単身赴任になりました。

マネージャーとして奮起を促されたものの、リーマンショックの影響もあって、メンバーの半分が去り、私も配置換えに。当時、36歳にして一人暮らしも初めて。東京も初めてで、家族とも離れ離れ。

気づけば、マネジメント経験・家族との時間・年収といった転職の条件は全て夢散していました。

何も残らず、完全に独りぼっち。自信も失っていました。

まさにどん底。

そんな私を救ってくれたのが、「仲間との繋がり」でした。


■誰かの成長を支えることが生きがい


転機になったのは、その会社独自の社内交流の場です。社員同士が交流できるスペースがあり、声をかけてもらって参加しました。

そこでは部署・年齢・役職・担当業務に関係なく、参加者同士がフラットに、入社当初のアツい気持ちを語り合ったり、人となりに触れる、いわば“本音の会話”が繰り広げられていました。

その熱量は凄まじく、たった一度会っただけでも強いつながりが生まれました。一人が手を差し伸べ、その手を見て「自分ならこんな手助けもできる」と別のアプローチを示してくれて。気づくとその輪がどんどん広がっていく。そして、職場のタテの上下関係では言いにくい「助けて」も、ヨコとナナメの関係で救われる。

人と人との繋がりって、なんて大きな力なんだ……。

それから、私の人生観は180度変わりました。

自分と同じような気づきや体験が必要な人がもっといるんじゃないか。そう思い立ち、社内FA制度で手を挙げて、その社内交流の場を運営する組織に入りました。名古屋時代の私を知る人からは「懲罰人事か?」と言われたほどギャップがあったみたいです(笑)。

人とつながるうち、視座が高まり、世界も広がる楽しさもありました。次第に、その先に起きる、人・組織の「らしさ」が発揮されることに関心を持つようになりました。

そんな折に、社内広報と掛け持ちする立場に。公式・非公式の両側から場づくりに携わり、経営と現場の双方向のコミュニケーションを生業にすることになりました。

このとき、社会人になって初めて、結構な額を投じて自費で組織開発やコーチングのセミナーにも通いました。あんなに前のめりになるなんて、それだけ楽しかったんですよね。

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考えてみると、ずっと不安だったのかもしれません。

どんなに成果を上げても、誰かの評価を気にする自分がいて。結局、気づくと自分ばかり見てしまっていた。

でも、誰かに手を伸ばせば、耳を傾ければ、そこには自分の気づいていない世界がある。

心の世界を拡げてくれるのは、“繋がり”と“学び”だと大いに実感しました。


■海外営業担当として拡げる「世界」


シナネンゼオミックに入社したのは2014年。海外営業担当として私を強く必要としてくれたからです。8年近くブランクがあったので、正直こんな打診があるとは思ってもみませんでした。

一度は諦めたものの、心残りがあったんですよね。シナネンゼオミックは当時まさに海外との取引を増やしていくフェーズにあり、私の経験とスキルに期待を込めていただきました。

その先に再び待つ世界への期待も膨らみ、決断に至りました。私にとっては、リベンジであり、心の世界に続き、物理的な「世界」を拡げるチャンスでもありました。

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国内外から多くの引合いがある抗菌剤「ゼオミック」(イメージ図)


かつて悔しい思いはしましたけど、一度諦めた自分にチャンスをくれた会社に感謝しかないです。期待してもらったからには全力で応えたい一心で日々仕事と向き合っています。


■ライフワークとして拡げる「世界」


「可能性の目覚めに立ち会い、あるがままを活かすお手伝い」をモットーに、仕事とは切り離して、ライフワークとして取り組んでいることもあります。

いま、その一環として参画しているのが、名城大学の「DRAFT」というプログラムです。
https://plat.meijo-u.ac.jp/draft/

3カ月を1タームとして、社会人がメンターとなり、学生がやってみたいことをサポート・実現するという内容です。

就職や将来を見据えて参加する学生さんが多いんですけど、いざ話を聞いてみると、「何がやりたいか分からない」という人もいます。
メンターである私の役割は、「こうした方がいい」とアドバイスするのではなく、学生さんたちが本当にやりたいことに気づくように背中を押し、それを実現するお手伝いをすることにあります。

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実際、最初は「なにかやりたい。でもその何かがわからない」という状態がほとんど。そこから週に1回、話しながら、その学生さんが本当にやりたいと思えることを見つけるお手伝いをし、アイデアを具体化していきます。

ある学生さんは、コロナ禍で留学を楽しめない外国人留学生を集めてオンラインイベントを開催しました。また、ある学生さんのペアは、「自分の強み」を見出したいという動機から、セミナーを企画・開催しました。写真は、そのときのものです。

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DRAFTで開催したセミナーの主催者と参加者


突き詰めていくと、結果として何をやったかはそんなに重要ではないです。小さな取り組みでも、自分が考えに考え抜いたことを形にすることに意味があります。

それが誰かのためになって反響があれば、やりがいも感じられ、自信にもつながります。不思議なもので、参加前と参加後とでは表情も変わるんですよね。

実はこれ、私自身が経験したことでもあるんです。人と関わり、つながることで、自分が変わっていく。ライフワークとしている活動は、いわば心の世界が広がる体験をお手伝いすることです。

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こんな私から、今もどこかで成果や評価に縛られたり、孤独に苦しんでいたりする人がいたら、あえて最後に声を大にして言わせてください。

一匹狼なんて幻想。必ず誰かに支えられている。
自分の見えている世界がすべてじゃない。その先にもずっと広がっている。

自分への戒めも込めて、ですね(苦笑)。私を信じてくれる人たちに、少しでも前向きになってもらえるよう、仕事もライフワークも続けていきたいと思っています。

(終)

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