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30歳の決心。Wordしか使えない編集者が、Webマーケターになるまで


30歳のとき、私は編集者を辞めました。

大学でいわゆる就職活動をしなかったため、大学卒業時の肩書は「居酒屋アルバイト」。

そして社会人として最初のキャリアは編集プロダクションの編集者としてスタートしました。毎日忙しかったものの、仕事は楽しかったです。「自分は“伝える”仕事がしたかったんだ」。編集業のやりがいを実感していました。

でも、30歳になって、ふと不安になりました。

編集一筋の自分は、このままでいいのだろうか。

よく「30歳になると人生考えるよ」と言われますよね。だからと言って年齢を意識したつもりはなかったものの、今となってはキャリアを考えるきっかけになったのは確かです。

あれから8年。今はシナネンホールディングスでマーケティング業務に携わっていますが、芯はブレていないつもりです。
編集も、マーケティングも、すべて“伝える仕事”であることに変わりないからです。

とはいえ、就職も転職も苦労して、順風満帆なキャリアとは胸を張って言えません(苦笑)。そんな私だからこそ、もしキャリアに悩む方がいたら「こんなキャリアの形もあるよ」と、少しでも背中を押せるお話ができたらと思っています。


【今回の社員】

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シナネンホールディングス
経営企画部 マーケティングチーム
具志堅 遥

2005年に大学卒業後、同年6月に編集プロダクションに入社。その後、化粧品系の業界誌を手掛ける出版社に転職。計8年ほど編集・記者として従事した後、IT企業に転職し、広報担当に。2019年6月に当社に転職し、現在に至る。

■PCで使えるのはWordだけ……30歳で初めて感じた危機感


今考えればノリだけで動いていました。大学は法学部で、弁護士を目指していました。大学4年のときに司法試験やロースクールの試験を受けたものの、落ちてしまい……。やむなく就職活動にシフトしました。

どの業界を目指そうかと考えて、最初に思いついたのが出版業界でした。本を読むのが好きだったからです。しかし当時は、就職氷河期の真っ只。しかも新卒採用はどこの企業も終了していて、応募すらできない(笑)。

転職サイトの「リクナビNEXT」に登録するところから、就職活動を始めました。当然ですが、転職サイトで応募しても未経験どころか、卒業すらしていないので応募が通るわけもなく、あっという間に、大学卒業を迎えてしまいました。

覚悟はしていましたが、大学卒業時の肩書は「居酒屋アルバイト」でした。

こうなると正社員の道は難しいですが、目標は変えませんでした。他に就きたい仕事も思いつかなかったんです。地道に就職活動を続け、卒業から2か月後に、編集プロダクションに入社できました。

その会社は特定のジャンルに特化しておらず、雑学や歴史、コミック、エンタメと様々なカテゴリの制作を行っていました。媒体も雑誌や書籍、ムック、カタログなど多岐にわたっていました。

とにかく毎日忙しかったです。深夜の1時に印刷所に原稿を入稿。それから打ち上げなんてこともザラ。机の下には寝袋がありました(笑)。それでも楽しかったですね。制作業務も肌に合っていたみたいです。
出版業界を目指した理由は直感的でしたけど、それは正しかったと思います。

その編集プロダクションで約3年半過ごした後、版元(出版社)へ。出版社に入れなくて、編集プロダクションでキャリアを積んで転職するというのは1つのルートだったのです。化粧品・日用品の専門誌を手掛ける出版社に転職しました。

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編集プロダクション・出版社で実際に担当した本・雑誌(一部)


経験は存分に生かせました。企画、取材、執筆、校正など仕事は順調そのもの。テレビCMをバンバン流している会社の社長に経営方針をインタビューしたり、まだ世の中に出ていない新商品を取材したりと仕事内容も充実していました。

でも、歳を重ねるごとに不安が増していきました。

ちょうどスマートフォンが出回り始めてきたころで、私ももれなくガラケーからiPhoneへ機種変更。スマートフォンでインターネットコンテンツを楽しんでいました。そんな中で業界誌は定期購読が減ることはあっても、増えることなんて滅多にありません。しかも読者層も限定されています。

幸い、私がいたのは歴史ある出版社で、多くの国内の一流メーカーに広告費を出してもらっていたので、すぐに会社がなくなることはない。でも、10年先は残っていても、20年先にどうなっているのかイメージできませんでした。

そう思うと、自分の将来が不安になりました。このまま勤め続けて、もし万が一、20年後に会社がなくなったら、何が残るだろうと。

50歳のオジサンで使えるPCスキルはWordだけ。PowerPointなんてPCにインストールされていないし、エクセルで四則計算すら使ったことがないという……自分の業務スキルの低さに焦りました。

このとき、ちょうど30歳。「キャリアを変えるにはまだ間に合う」と思い立ち、転職活動を始めました。メディア系は選択肢から外し、一般企業に絞って考えたものの、根っこにある思いは変わりませんでした。

「伝える仕事」がしたい。

一般企業で、伝える仕事と言えば、と最初に思いついたのが「広報」でした。


■自社を知り、ターゲットニーズを知る。マーケターの基礎になった広報経験


転職活動では苦戦を強いられました。
広報職は、経験者の採用がほとんどだからです。

履歴書を何十社に送ったか覚えていないほどですが、面接までたどり着いたのは数えるくらい。それでも「これだ!」と思ったら突き進む性格なので、諦めずに打ち続けました。

結果、社員数60名ほどの店頭販促の支援を行う企業から内定をもらい、入社できました。業界紙のときに学んだ流通系の知識があったこと、文章が書けることが主な採用理由です。

私は「戦略企画室」という、広報も含めて、総務・IT・経営企画が入り混じった管理系の業務を担う部門に配属されました。平たく言うと、社内からの問い合わせには何でも対応する部門です(笑)。

毎日、社内からの問い合わせに対応しながら、合間を縫って広報活動にも取り組みました。

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上司から言われたのは「うちは知名度がまだないから、まずはメディアでの露出を増やしたい」ということでした。ただ、露出を増やそうにも、記事を書いてくれるメディアの記者さんとの接点は化粧品・日用品の業界以外で皆無でした(笑)。

まずは新聞・雑誌・Webメディアに片っ端から電話をして、記者との接点をつくろうと試みましたが、知名度がない会社のアポ取りに反応してくれるメディアはほとんどありません。

それから方針転換をしました。
意識したのは、誌面受けしそうな企画の持ち込みや数字を効果的に使うことです。

例えば、

・自社サービスだけで提案するのではなく、他社の広報担当と一緒にメディアに取材企画を提案→実現
・主婦層をターゲットにしたアンケート調査を実施し、Webでバズりそうなキャッチーなタイトルをつけて結果をリリースにして配信

といった感じです。

自社名を前面に出しても関心が引けないので、ならばと割り切って他社や調査を前面に出すようにしました。

次第にメディアでの露出が増え、NHKやフジテレビ、読売テレビなどでも自社サービスが紹介されたりもしました。調査結果もクイズ番組で使われたりして。家族と見ているTV番組で出典として自分が調査したデータが使用されたのは嬉しかったですね。

当時の経験は、実は今のマーケティングの仕事にも生きています。

自社を知り、ターゲットが何を求めているかを知る。そこから改めて自社の強みをPRしていく手法は、マーケティング活動そのものだからです。
私にとって、広報職はマーケターとしての原点であり、今のキャリアにつながる土台をつくった時期だったなと思っています。


■実体験は、マーケターとしての強み


その後、当時いた会社の親会社に広報担当として異動しました。広報と兼務でマーケティング業務も本格的にかかわるようになりました。Webサイトをつくったり、USP(Unique Selling Proposition:特有の強み)を数字で証明して宣伝文句にしたり、セミナーの企画を考えたりと、どっぷりつかりました。

子会社・親会社あわせてそこのグループには6年いて、転職したのがシナネンホールディングスです。

広報職の応募で申し込んだんですが、採用の過程でマーケティングチームを打診されました。もともと兼務だったので私の中では「ここからここまでが広報でここからここはマーケティング」みたいな線引きはありませんでした。

それよりも「90年以上の歴史を持つ企業が時代の変化に対応するために、様々な変革にチャレンジしようとしている。その逆境に立ち向かうダイナミックな動きを経験したい」と思って快諾し、入社しました。

今は、グループ会社のWebサイトの運用・分析やメディア広報のサポートなど前職までで培った経験をフルに生かしつつ、商圏分析や市場予測など新たな業務にもチャレンジしています。

FireShot Capture 049 - 東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪でシェアサイクル「ダイチャリ」を展開するシナネンモビリティPLUS株式会社 - www.sinanen-mplus.com

リニューアルをサポートしたシナネンモビリティPLUSのHP
https://www.sinanen-mplus.com/


就職活動をし始めたころには、こんな“いま”につながるとは想像もできませんでした。
編集・広報・マーケティング──そのときどきで一歩はみ出るように仕事の幅を広げることで、経験値が増えていきましたし、それが自信にもなってきました

ただ、軸は変えません。「伝える仕事」にはこだわり続けるつもりです。

私の苗字「具志堅」からお察ししてもらえるかもですが、沖縄出身です。学生のころは情報にタイムラグがあって、書店に『ジャンプ』『マガジン」が並ぶのはいつも1日か2日遅れ。早く続きが読みたいのに(笑)。
伝える仕事にこだわるのは、そんな新しい情報への枯渇がルーツにあるのかもしれません

情報は、暮らしに大きな影響を与えます。それだけに企業にとって大きな武器となり得ます。ただ、一方通行では伝わらない。受け手の気持ちを理解し、配慮することが大切です。

その点、私は新しい情報を欲する気持ちがよく分かりますし、紆余曲折のキャリアのおかげ(?)で得た経験があります。辛さや苦しさを実感した体験は、ターゲットの気持ちを理解するうえで、私の強みでもあると思うんです

そう考えると、今までの経験に無駄なことは何一つなかったし、むしろ今になってすべてがプラスに働いています。そのときどきでは辛く、苦しかったですけど(笑)、自分なりの軸を持って進んだ結果の“いま”があります

だから、将来に不安を感じていた30歳の自分に伝えてあげたいです。

「10年後、その苦労が糧になってるよ」

(終)

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「エネルギーと住まいと暮らし」のサービスを展開する、シナネンホールディングス株式会社です。 変革をむかえるエネルギー業界で、戦う社員の姿をお伝えします。